人の夢は終わらない

全ての「こども」と全ての「せんせい」が生きたいように生きることができるように、まず私が学び続けます。

「アメリカのスクールドラマ」×「日本の学校」

私は、アメリカの学校を舞台にしたドラマをよくみます。

 

たまたま「アメリカ」が多いのですが

他の国の「スクールドラマ」にも同じことが言えるかもしれません。

 

自己主張、すごくないですか??

 

そんなに自分だします?

学校の中庭で歌います?

みたいな場面をよく見ます。

 

いやドラマだからでしょ、と言われればそうなのですが

日本とは文化が違うなあと改めて思います。

 

じゃあ「日本の学校」と、どこをつなげるのか。

小さいシーンかもしれませんが、

個人的に好きなシーンをつなげたいと思います。

 

それは、ロッカーに張り紙をするシーンです。

 

「一緒にバンドやろう」とか

「〇〇を守るために募金よろしく」とか

周囲にお知らせをするシーンです。

 

なぜここが好きかというと、理由は二つです。

 

一つめは、自分の考えを発信できる環境があるということです。

 

日本でも「係活動」などのお知らせを、

こどもが掲示することが見られると思います。

ただ発信できる内容が学級や学校に限られていることが多いです。

「休み時間に、おにごっこをしましょう」的なことです。

学校外のことを知らせるタイプもありますが、

「おすすめのマンガ」のように一方通行のお知らせが多いです。

 

原因は、日本の学校が「規律」を大切にするからだと思います。

もちろんルールは大切ですが、

もっと許容する範囲を広げたらいいのに、と思うことが多々あります。

 

先日、ある方に聞いた話ですが、

5年生のこどもが自作の動画をタブレットで作成し、

それを見にきてくださいというポスターを全クラスに貼った

ということがあったそうです。

しかも係活動ではなく個人の活動として。

 

学級の枠と持ち物の枠を超えた5年生に拍手ですね!

また、それを許容された担任のせんせいにも拍手です。

(そもそも許容という言葉がよくないですね。)

 

「日本の学校」では難しいのかもしれませんが、

発信できる環境を作れるのは、まずは、せんせいだと思います。

それが学級や学校の文化になれば、

その先は、こども自身が、さらに発信する環境を作っていくと思います。

 

ロッカー張り紙が好きな理由の二つめは、

パーソナルスペースを有効に活用していることです。

 

自分のロッカーという空間は

学校のものでありながら、自分の場所になっています。

そこを自分らしく使うことで、

個性や、多様性が認められたり、

自律から自立に向かう心が育つのだと思います。

 

先程も書きましたが、日本の学校は「規律」大好きです。

ロッカーの中や机の中の物の配置まで指示する教師もいるくらいです。

それを決められた通りに、言われなくてもやることを

「自律」と勘違いしています。

与えられたことをこなすことが「自律」ではないと思うのですが・・・。

 

 

気付けば批判的な内容になっていました。

申し訳ありませんm(_ _)m

 

ただ、自分の考えを発信できる、

発信できる環境があるということは大切なことだと思います。

 

日本のロッカーが小さくて無理というなら

教室に貼ってある習字の掲示スペースはどうでしょうか?

(習字の掲示って、一般的な教室の風景ですよね??)

 

あのスペースを個人の発信の場として活用したら

楽しさが増すのではないかって思います。

 

もちろん習字を貼ってもいいんです。

すごくいい字が書けたから、みんな見てくれよ!

という発信です。

みんなが、好きなことや興味のあることを発信する。

できれば、双方向になるように、周囲とつながるように。

全員が同じものを貼るよりも

ずっと楽しく、未来につながると私は思います。

 

 

ちなみに私は、こどもたちの個人の掲示コーナーの中に

自分のスペースも勝手に作っています(笑)

 

さて、今度は何を発信しようかな!