人の夢は終わらない

全ての「こども」と全ての「せんせい」が生きたいように生きることができるように、まず私が学び続けます。

「スマホゲーム」×「学校」

先日、マリオカートをやりました

自分のこどもとスーファミ版のマリカー

 

かつてコントローラーがへこむほど

プレイしてきた私は、こどもに圧勝しました

 

すると、こどもが

「不公平だから新しいマリカーで勝負しよう」

と言うのです

 

それはスマホ版のマリオカートでした

 

いや、この道何十年の私に勝てるはずがない

と勝負を快諾

 

結果、完敗でした・・・。

 

こどもの方がうまいのです

 

コースが複雑になっていたり

アイテムが増えていたりと

スーファミとの違いは明らかです

 

ただ、ここまで差がつくとは驚きです

 

悔しいので、こどもに質問しました

 

Q:何でこんなにうまいの?

A:前からやってるから

Q:でもスーファミ版だと遅かったよ?

A:あっちは難しい

Q:スマホの方がコースが難しいよ?

A:じゃなくて、動かすのが難しい

Q:どういうこと?

A:こっちは、指1本で動かせる

  あっちは、いろいろ押すところがある

 

なるほど・・・

納得しました

コントローラーもなく、画面を指1本で操作できる

たしかに、シンプルです 

 

そして、スマホタブレットが流行るわけ

学校に入ってくるわけが分かりました

 

こどもにとって、分かりやすく便利なのです

そりゃそうですね

これだ、と思ったものをタップするわけですから

ひらめきと操作が直結します

 

そう考えると、キーボードより

紙と鉛筆より

タブレットの方が「学校」という場に

合っているのかもしれません

 

私も教科書やプリントをタブレットに入れ

指導案もPDFにして、そこにメモします

 

もうランドセルに入れるのは

教科書でもノートでも筆箱でもなく

(すでに筆は入ってないけども)

タブレット1台になっていくということですね

 

GIGAスクール構想には課題が山積していると

私は思いますが(コストのことなど)

必ず実現すべきだとも思いました

 

 

小学校入学前のこどもから大切なことを教わった気がします

 

自分の感覚では

逆にボタンがないと不安でした

 

でも、それがないことが当たり前の環境で

育ってきているこどもたちには

ボタンなど必要ないのです

 

他にも当たり前のように行っていたり

使っていたりするものが

「学校」にはあふれています

 

一回、全てを無しにして

本当に大切なものだけを選ぶことができたら

これからの「学校」の姿になりそうですね

 

そう思って、今日も「情熱の薔薇」を聴きます

 

見てきた物や聞いた事

いままで覚えた全部

でたらめだったら面白い

そんな気持ちわかるでしょう