人の夢は終わらない

全ての「こども」と全ての「せんせい」が生きたいように生きることができるように、まず私が学び続けます。

「あつまれどうぶつの森」×「学校」

どうぶつの森」シリーズを初めてやってみました。

こんなにおもしろいものなのですね!!

前のシリーズをやっていなかったことを後悔しています。

 

きっかけは

外出自粛の中で、子供がやってみたいと言ったことです。

今では、すっかり父の方がはまっています。

 

どんな家具をそろえようか。

どんな壁紙にしようか。

自宅の充実に全力を注いでいます!

 

 

私がやってきたゲームは、

マリオのようなアクションゲームか

ドラゴンクエストのようなRPGが多数を占めていました。

「クリア」をするという目的に向かって

ゲームをしていた頃を思い出します。

 

ただ、我が子に言わせると、「あつまれどうぶつの森」は

「クリア」をするゲームではないようです。

(解釈が違っていたら申し訳ありません。)

 

子供が言うには

自分のペースで、自分のやりたいことができるゲーム

なんだそうです。

自由にできるゲームとも言っていました。

 

たしかに、子供は家の充実ではなく

ひたすら虫捕りに興じています。

(自称バッタハンター)

 

私は、ひたすらお金を稼ぎ

いかに家を充実させるかということが

「クリア」することだと思っていたようです。

そして、子供にベッドやイスの作り方を

一生懸命、暑苦しく教えようとしていました。

(当然、相手にされませんでした)

 

 

考えてみると

自分の「授業」もそうだったように感じます。

 

個別最適化のために

学習方法をクラスのこどもたちが選べるようにしました。

自分に合った方法で、自分のペースで

学習できるようにしてきたつもりでした。

 

ただ、「授業」となると

どうしても「目的」を設定しがちです。

この時間にこれをやってほしい。

これができるようになってほしい。

 

よく言えば「教師の願い」

悪く言えば「教師のエゴ」です。

 

「目的」があると、

それに向かって「クリア」を求めてしまいます。

学習支援という名のおせっかいが始まります。

(ベッドより虫捕りだよ!と言われます)

 

 「目的」を設定することそのものが

悪いというわけではありません。

こちらの価値観で「目的」を決めて

押し付けることが良くないのだと思います。

 

子供たちには「クリア」するという「目的」は

なかったように感じます。ただ、

ひたすら虫をつかまえたり

ひたすら花を植えたり

ひたすら服を買ったりする様子を見ると

自分で設定した「目的」に向かっていたのかもしれません。

 

きっと

自分で「目的」を決められることが

「自由」や「自分のペース」という言葉で

表現されたのだと思います。

 

これは、そのまま「授業」に当てはまることですね。

 

「あつまれどうぶつの森」という作品のかわりに

教科書の物語という作品で考えてみましょう。

 

「登場人物の気持ちを考えよう」と教師が言ってしまったら

「イスとベッドをつくろう」と言っているのと同じです。

 

「どうやって読もうかなー」

「これおもしろいのかなー」

「こんなふうに読めそうだなー」

と自分のペースで物語と向き合い

自分で決めた「目的」

(もしくは、いつのまにか設定していた「目的」)

に向かって読んでいってほしいなと思います。

 

 

今の学校で、いきなりそれは難しいかな。

と思ったこともありました。

 

しかし、この休校期間によって

こどもたちは「自分のペース」で学ぶことを

知ることができたのです。

 

これをチャンスととらえて

自分で決める学び

自分で選ぶ学び

を大切にしていきたいと思います。

 

 

ちなみに

「あつまれどうぶつの森」を始めてから

子供たちが

虫や魚の特徴まで話せるようになったり

現金と電子マネーに興味をもったり

割りばしで工作を始めたり

ローンやかぶの変動にまで言及しだしたりしたことから

この作品を教科横断的な学習の中核にしたらいいのに

と思いました。

 

では、続きをやってきます!!