人の夢は終わらない

全ての「こども」と全ての「せんせい」が生きたいように生きることができるように、まず私が学び続けます。

「敬語」×「せんせい」

勢いで先輩にタメ口で話し、まあまあ怒られる。

若い頃によくやった失敗です。

今思うと、怒ってくれた先輩に感謝です!

 

で、この若い頃ですが

別に学生の頃というわけではなく

教員になってからの話です。

なんか、残念な大人ですね・・・。

 

私は人見知りでありながら

距離感を縮めたいと願うタイプの者です。

ただ、その距離感を間違うことも多く

今で言うソーシャルディスタンスをとれていませんでした。

 

そこで考えたのが

相手によって、言葉づかいを選ぼう、という案でした。

もちろん、ふわっとした感じで使い分けていましたが

明確に意識しようと思い立ったということです。

(チャージングの境界線を引いた魚住のイメージです)

 

国語の授業でも

相手や目的、意図に応じて伝え方を考える

ことは大切だとされています。

この案(当たり前のことかもしれませんが)は成功し

自分を社会人?大人?っぽくしてくれました。

 

ところが壁にぶつかります。

「あれ、この人は年上か?」

「敬語で話して関係ができたけど、今更タメ口にできない」

「Aさんには敬語、Bさんにはタメ口。

  あれ、AさんとBさんがタメ口で話している。自分はどうしよう」

 

もともと仲良くなりたくて話していたのに

いつの間にか、コロコロ態度を変える残念な大人になっていました。

そもそも自分は、そんなに器用な人間ではありません。

何年か続いたこの案は頓挫しました・・・。

 

そこでスタートに戻ることにしました。

①仲良くなろう!

②相手のいいところが見える。

③リスペクトしたいところがハッキリ見える。

④っていうか、リスペクトしたいところ誰にでもある。

⑤みんなすごい。みんなと仲良くなろう。

 

という思考を経て、誰にでも敬語で話すようになりました。

 

これこそ当たり前のことかもしれませんが

私にとっては重要な紆余曲折でした。

 

昔、年上の教員は「先生」年下は「さん」を付けて呼ぶ

と教わったことがあります。

今考えると、どちらでもいいですね笑

相手を思う気持ち次第だと思います。

 

先日、こちらの本を読みました。

f:id:yoshino518:20200609225852j:image

「話し方に一貫性を持たせることで人に信頼される」

という一文を読み、とても晴れやかな気持ちになりました。

 

国語で大切にされている

相手や目的、意図に応じて、というのは

態度や話し方などの表面的なものではなく

その人に思いを寄せるという内面的なものの方が

大切なのかもしれません。

 

これからも敬意をもって

「せんせい」と呼びたいと思います!