人の夢は終わらない

全ての「こども」と全ての「せんせい」が生きたいように生きることができるように、まず私が学び続けます。

「きっかけ」×「学び」③

幼稚園の先生とのお話の中で

 

こども一人ひとりを見る

でも、集中すると一人しか見えない

全体を見ることが大切

 

ということを聞きました。

 

 

好きな野球漫「クロカン」にも、こんな記述がありました。

(表現の誤差はあります・・・)

集中とは集中しないこと

ボールに集中する

裏を返せばは、周りが見えていない状態

一点に集中せず、全体を見る

すると、二遊間が空いているとか、ピッチャーも緊張しているとかが見える

 

普段の授業も同じですね。

一人の子の机の横で支援を続けたら、他の子は見えなくなってしまいます。

 でも、全体を見ると

個だけでなく個と個のつながりも見えてきます。

 

また、昔の自分は、授業を参観する際に

教師行動や手立てに目がいきがちでした。

それも大切な視点だと思います。

ただ、見るべきは、まず「こども」

そう考えるようになりました。

 

先程の幼稚園の先生は

いつの間にか、こどもの上に信号が見えるようになったそうです。

この子は青、調子いいな

この子は赤、関わった方がいいかな

 

お話を聞いたときは「??」でしたが

最近は、とても共感できるようになりました。

 

こども一人ひとりを見る。

というか、「知る」という感じですかね。

(これは、普段の何気ない会話などからも「知る」ことができますね)

同時に全体も見る。

(全体とは、集団としての形とか画一的な学級とかそういうことではありません)

そうすると、個が見えて、個と個のつながりが見えて

全体としてのつながりも見えてきます。

そのため、幼稚園の先生の信号のように

「この子は、いい調子」「あの子は、声かけようかな」

という見取りができるようになったのだと思います。

 

さらに、素敵なところばかりが見えるようにもなりました。

「あの子、困ってるな」という見取りに対して

「心配」や「支援」という言葉だけが浮かんでいましたが

「むしろチャンスかな」と思えるようになりました。

困っているのは、何かしら考え行動している証拠です。

「チャンス」と思って待っていると

友達に質問したり、他の子がアドバイスをくれたりして

教師がいなくても「学び」が成立していることが多々あります。

 

ちょっと見る視点を変えただけで

こどもの可能性が、こんなにも見えるようになる。

これは、私にとっての「学び」の「きっかけ」となりました。

 

いろんな考え方があります。

ただ、こどもの幸せを願うという点では

どの考え方も正解なのだと思います。

 

現時点での自分の「納得解」をもって

これからも、こどもたちの「きっかけ」を探していきたいと思います。