人の夢は終わらない

全ての「こども」と全ての「せんせい」が生きたいように生きることができるように、まず私が学び続けます。

「岐路」×「ふりかえり」

授業の最後に「ふりかえり」を行う。

これは、あるあるだと思います。

こどもたち一人ひとりが納得解を見付けるためには

「ふりかえり」は大切です。

最適解を導く授業であったとしても

「まとめ」で終わらずに、それをどう捉えたかという

自分と向き合う「ふりかえり」の時間は、やっぱり大切です。

 

で、この「ふりかえり」ですが

何についてふりかえるのか、というアイデアが多くあるように感じています。

「何を学んだのか」

「どのように学んだのか」

「どのように生かすのか」という三つの視点で

「ふりかえり」を行っている素敵な授業を参観したことがあります。

先輩からは以下の五つの視点を教えていただきました。

ア:思考・判断・表現などの過程(プロセス)の捉え直し

イ:理解の状況、取組の姿勢・態度などの診断

ウ:満足感、充実感などの味わい直し

エ:今後の学びへのつながり

オ:学習内容の活用

 

いろいろなアイデアがありますが、私が感じた共通点は

こどもたちの実態に合わせて、せんせいが意図をもって

「ふりかえり」を行うことが重要、ということです。

 

もちろん、意図は、せんせいによって異なるものでしたが

授業の内容の定着を図る?確認する?(うまくいえませんが・・・)

授業内容に関するような意図がほとんどでした。

私も、そのような意図で「ふりかえり」を行っています。

 

ただ、もう一つ

「ふりかえり」そのものの価値を感じてほしい

「ふりかえり」を自然にできるようになってほしい

という感じの意図もあります。

内容ではなく「ふりかえり」の活動そのもの、という感じです。

 

おそらく、「ふりかえり」の時間を設定しなくても

「ふりかえり」の価値を知っている子ならば

自分が必要なときに、自然と「ふりかえり」をするのだと思います。

というか、誰でもそうじゃないのかなぁと思っています。

走りっぱなしのように見えても、どこかで立ち止まって

自分をふりかえっているのではないでしょうか?

 

そう考えると、「ふりかえり」の内容や方法だけでなく

学校で「ふりかえり」そのものの良さを伝えていくことも大切ですね。

 

私自身が「ふりかえり」をするときを分析してみると

何かを終えたときよりも、何かを始めるときの方が

多く「ふりかえり」をしているような気がします。

特に、「岐路」に立ったときです。

 

先日も、まあまあ大きめの?「岐路」に立ちました。

(大きめって表現は変ですか?)

そうなると「ふりかえり」をしたくなります。

 

そこで、いろいろな人に質問をしてみました。

質問の内容は、相手によって変えていますが、

「今、幸せですか?」という質問は、全員に聞きました。

 

お世話になった方に質問をしてみました。(迷惑・・・)

過去に担任した子たちにも質問する機会がありました。

(せんせい、ヤバいのか、と思われたはずです笑)

 

「幸せです」と答えた人も

「幸せじゃありません」と答えた人も

それぞれに素敵な理由がありました。

 

そうした人に出会える「せんせい」という仕事は

やっぱり素晴らしいものなのだと、ふりかえることができました。

そして「岐路」に立った私は、迷わず一歩を踏み出せました。

 

(ここの一連の流れは、だいぶ省略していますが、いつか書きたいです)

 

#先生死ぬかも

という投稿をたくさん見ます。

私は、そう思ったことが一度もないので、恵まれていたのかもしれません。

(もちろん、改善するべきと感じていることは、たくさんあります)

だから、今こそ「ふりかえり」をしてほしいと思います。

初心を思い出せるかもしれませんし

「ふりかえり」から新たな改善策が生まれるかもしれません。

 

ふりかえった結果「死ぬかも」と思ったのならば

きっと死なずにすみます。(というか死んでほしくないです)

 

自分を客観視できた後ならば

こどもたちに目が向くと思います。

自分にも、こどもにも優しくなれます。

 

せんせいが、学校が、「岐路」に立っている今こそ

一度「ふりかえり」をしてから、前を向いていきたいですね。

 

 

今回のブログをふりかえると・・・

何回「ふりかえり」って書いたでしょうか笑

もう下半期分の「ふりかえり」を使い切った気がします笑