「6年間を振り返って」×「可能性」
6年生の卒業が近づいてきました。
国語の授業もいよいよ終わりだなあと、感慨深いものがあります。
今年度は3、4、5、6年生の国語を担当させていただいたので、国語の学びを系統的に捉えることができました。
どの学年も素晴らしいのですが、その中でも6年生はさすがだなと思う場面が何度もありました。
こちらの想像を簡単に超えてくるあたりから、もはや授業に「教師」はいらないと強く感じました。ちょっとしたときに違う視点を提示できたり、軽く背中を押してあげたりする「せんせい」がいればいいのだと思います。
(このあたりのテーマは、また詳しく書きたいところです。)
さて、6年生の国語の最後に登場したのは「6年間を振り返って」という学習です。
これを聞くなり大ブーイングです。
「最後にそれ!?」
「いかにもありそう・・・。」
いや、そうだとしても言い方・・・、気を付けて。と思いながらも、確かにそのとおりだと思いました。
これまで独創的な活動をしてきた子たちなので、あるあるな終わり方では満足できなかったのでしょう。
私は、この反応を見て方向転換することにしました。
「6年間を振り返って。で、どうする??」
それだけ書いて、あとは委ねます。
これは今年1年を見てきたからこその信頼です。
そして、こどもたちに委ね任せて良かったと思いました!
いくつか紹介いたします。
「季節の言葉を集める」
6年分の国語の教科書を見て、そこから季節の言葉を集めるのだそうです。それをどうまとめるのか、どんな発見があるのかは、まだ分かりません。ただ、こだわりをもって楽しそうに教科書を開く姿が素敵でした。どんな結末になるのか楽しみです。
「クラムボン座談会」
教科書に「やまなし」(宮沢賢治)という作品が掲載されていますが、そこに登場する「クラムボン」という造語。これをとことん追求するとして、広いスペースで距離を取りながら座談会を開いている4人。感じたままを話す様子、理科の視点で話す様子など、LIVE配信をしたくなるような内容でした。
「物語を1枚の絵に」
これまで出会った物語教材の印象的な場面を絵で表現し、それを1枚の作品として仕上げようという試みです。きっと壮大な作品になるのではないでしょうか。仕上がったら額に入れて飾りたいくらいです。
「プログラミングを生かして」
心に残っている学習についてクイズを作るという案です。PowerPointでまとめたり、画用紙にまとめたりする子もいますが、クイズのプログラムを組んでいる子もいました。3択の国語クイズに正解したり、不正解になったりすると、それぞれ反応が変わります。プログラム自体が言語の順序によって成されているので、過程も成果も国語の学びだなあと感じました。
こどもたちは、やりたいこと、好きなこと、興味のあること等、自分なりの理由で活動を決定していました。
そこに「可能性」を感じました。最初に書いたように、こちらの想像なんて簡単に超えていきます。教師が道を示そうとすればするほど、可能性を制限していることになると感じました。
「じゃあ何をやってもいいのか?」
という問いは、当然生まれると思います。
ただ、それを考慮しても、これまでは枠にはめようとし過ぎだったはずです。
もっと、こどもの可能性を信じるべきですし、こども一人一人に合ったものを、こども自身が選べるようになるべきですね。
1年間、楽しく授業できたことに感謝です。この感謝の気持ちを、こどもたちに伝えて終えられるようにしたいと思います!
「作者」×「作品」×「Office365」
先日、国語の授業で「やまなし」の学習を行いました。
(光村図書:6年)
このお話は、宮沢賢治さんの作品で、長く愛されている教材文です。そして、「やまなし」だけでなく、資料として「イーハトーヴの夢」という作者にせまる資料も掲載されています。
そのことから、作者の生き方や考え方と、作品とを関連させて読み深めることのできる教材になっています。
カリキュラムマネジメントの視点から、意図的に単元を入れ替えたので、こどもたちは「海の命」を先に学び、その後「やまなし」を学びました。
光村図書の国語の教科書に掲載されている教材の中で、作品と作者とを関連付けて読み深めることのできるものは、この「やまなし」だけだと思っています。
(もちろん、資料を用意すればどの作品でも可能です。)
こどもたちも、そのことに気付いており、
「作者のこういう経験が、作品のここに表れていると思う。」
「作者は、やまなしを通して、こんなことを伝えたかったと思う。」
といった感じで、作品の世界のことを、作品の外側からも想像して読むことができ、自分の考えをまとめることができました。
ここで、新たな読み方・考え方をゲットしたことにより、この「作者」×「作品」という読み方・考え方を使ってみようという話になりました。
私は、「やまなし」を通して身に付けてほしい力について、こどもたちが十分に達成できていると感じていました。そのため、こどもたちの考えを、できる限り尊重しようモードになっていました。
さあ発展的な学習ですから、こどもだちのアイデアはあふれ出てきます。
結果的に、物語の作者だけでなく、絵画、音楽、漫画など、さまざまなアーティストに広がっていきました。もうお祭りです!
しかし、ここで問題が発生します。
「やりたい思いはふくらんだものの、どうやって情報を集め、どうやってまとめていこうかな。」
「イーハトーブの夢」のような資料が、全ての作者に対して用意されているわけではありません。ましてやコロナ禍です。頻繁に資料を借りたり共有したりすこともやりにくい状況がありました。
そんなとき、救世主が届きます!
SurfaceGo2!!!!
本校では、2月からの使用に向けて、6年生が先行して1月から使用することになりました。「Office365」も入っており、調べることもまとめることも、これで解決できそうです!
しかも、コロナ禍で会話というコミュニケーションがとりにくい中でも、チャットを使えば考えの共有が図りやすくなります。
早速、「作者」×「作品」×「Office365」という国語の授業が始まりました。
ここでは、可能性を制限しないために、自己決定を大切にすることになりました。
「作者の生き方や考え方などが、作品とどうつながっているか」という共通の視点はもちましたが、他は自分で決めて学んでいきます。
ある子は、PowerPointを使って作者と作品とのつながりを表すことにしました。
ペンを使用しての操作が自分に合っているようで、絵をかくように資料づくりを楽しんでいました。
この子は、PowerPointを使って、あっという間に資料を整えていました。
もともと医学に興味があるようで、「作者と作品?」という疑問を投げかけようかと思いましたが、生き方や考え方が何らかの形で表現されていることに気付いていたため、広く考えていいよね、ということになりました。
この子はWordを使って資料を書いていました。しかも家庭のデバイスを使用して、自分の主張と根拠をまとめてから臨むという意欲!
思考する時間と表現する時間を分けたかったそうで
「今後は紙と鉛筆でアイデアを出しながら、まとめるときはSurfaceを使いたい。」と言っていました。
自分に合った使い方を選んでいる素敵な姿だと思いました。
(まだ課題の設定ができないことが残念ですが)
まとめている資料の途中経過を、チャットに貼り付けることで共有しました。
特に指示をしたわけではないのに、「お願いします」という一言が添えられていたり、友達に「いいね」を押したりと、テキストのやりとりでも温かさを感じることができました。
「みていい?」「やだやだ」という微笑ましいやりとりです。
この後、見せてもらえたのでしょうか??
次の授業で聞いてみたいと思います。
まだ、単元の途中であるため、できあがった資料は後日紹介したいと思います。
ただ、既に「文章を読んで理解したことに基づいて、自分の考えをまとめること」という目標は達成できており、さらに「作者と作品をつなげて理解したことに基づいて、自分の考えをまとめること」という目標に向かって学ぶことができています。
アイデアはうかぶのに、うまくできない。そんな隙間を埋めることができたこと。
自分に合った方法を選んで表現できたこと。
感染リスクを抑えながら、考えの共有ができたこと。
今回は、このような成果があったと考えています。
まだまだスタートして1週間程度。
これから可能性が広がっていくことが楽しみです!!
「自分じゃない人」×「学び」
「マウス持ってきていいですか?」
その発想は無かったと反省しました。
というか、この日は自分がまだまだだなあと感じる場面がたくさんありました。
GIGAスクール構想の下、こどもたちの1人1台の端末の配付が、目前にせまっています。
そうなると、こどもの可能性を想像せずにはいられません。
「PCを文房具のように使ってほしいな。」
「自分にとってベストな方法を選んでほしいな。」
そんなことを考えながら、先行して使用している6年生の授業を行いました。
「座右の銘」についてパソコンを使ってまとめるという活動です。
本来は、紙と鉛筆を使ってもパソコンを使ってもいいと思っています。
大切なことは、自分にとってベストな方法を選ぶことですね。
ただ今回は、下級生が使う前に6年生に試してほしい、というこちらからのリクエストで、全員がパソコンを使用してまとめます。
(使用するアプリは自分で選んでいます。)
「スタイラスペンも使えるよ。」
ということを伝えると、それも使用するかどうか選んで取り組んでいました。
で、そこで出たのが冒頭の質問です。
「マウス持ってきていいですか?」
Bluetoothのマウスを家から持ってきたいというリクエストです。
「自分はSDカード用のCコネクターを持ってきたいです。」
リクエストは止まりません。
気持ちとしては「もちろん持ってきて!」の一択です。
(ここで学校のルールとの照合が必要になりますが・・・)
ペンに限らず、自分に合った道具を選ぶなんて当然のことなのに、まったく考えていませんでした。
やっぱり、一人の考えより「自分じゃない人」からも考えをもらった方が、いいことがたくさんあるなあと思いました。
そんなことがあったので
「他にどんなリクエストがあるかアンケートをとろうと思う。」
ということを友人に伝えたら
「じゃあそれFormsでやってみます。」
・・・。忘れていました。紙に印刷する気でした。
これも「自分じゃない人」のアイデアのおかげです。
さらにこの後、先行して実施している市の担当の方とのミーティングもTeamsを使って行いました。
こちらがイメージしているこどもの姿をお伝えすると
「とても共感できる。」
ということになり、今後もミーティングを重ねていくことになりました。
(このミーティングの目的は、いつか書こうと思います)
その市で考えているイメージについてもプレゼンしていただきました。
その方は、こどものイメージをお話しされた後に
「次に、せんせいには、こんなふうになってほしいと願っています。」
たしかに!
「便利だったら使いたくなります。」
たしかに!!
考えていたつもりでしたが、やっぱり「自分じゃない人」に気付かせてもらうことは、たくさんありますね!
改めて、自分ではない誰かとつながっていくことで、可能性が広がるのだと感じました。素敵な気持ちで週末を迎えられたことに感謝です!
「緊急事態宣言」×「学校」
複数の都道府県で緊急事態宣言が出されたのはご存知のとおり。
学校にも今までとは違った緊張感があります。
「今までも気を付けてきたけれど、さらに気を付けないといけないね。」
「2学期の授業とは、ちょっと意識を変えないとね。」
せんせいたちは、みんな制限をかけたくありません。のびのびと活動してほしいと思っています。
でも、そうはいかない状況です・・・。
改めて考えてみると、前回の緊急事態宣言のときは休校でした。この状況で登校するのは、こどもたちにとっても、せんせいたちにとっても初めてのことです。
なので、「今までとは違うよ。」ということを、言いたくなくても言わなくてはならないのかな、と思っています。
一方で、(こんなことをいうと不快に思う方もいるかもしれませんが)、授業については、そんなに困っていません。
困っていないというか、落ち込んでいないという感じでしょうか。
できないことが増えたのは間違いありませんし、「これができたら、もっといいのにな。」と思うこともあります。
ただ、それってコロナとか関係なく、今までもそうだったなと思います。
環境が異なるのは、ずっと前からそうでした。
その中で、せんせいたちは、こどもたちと一緒に工夫して、いろんなものを積み上げてきたのだと思います。
「学ぶ気持ちさえあれば。」という先人の言葉が思い出されます。
友人が掲示していた「今あるカードで勝負するっきゃない。」という言葉が響きます。
いぜんの記事にも書きましたが、「どうすればできそうかな?」「何ができそうかな?」と考えることそのものに価値がありますよね。
社会では、本当にできないことがあり、心を痛めていらっしゃる方のお話も耳にします。だからこそ、「学校」の中では、できることを探すというプロセスを大切にしていきたいと思います。
また、今日からチャレンジですね!!
「正しい」×「美しい」×「言葉」
年賀状をいただいて、毎年思うことは
「たった一文で何でそんなに心に響かせられるの?」
ということです。
分かりにくい表現で申し訳ありませんが
でもそういう一文ってありますよね!?
友人から届いた
「どうせ元気だろ。心配してない。」
恩師から届いた
「あなたの活躍は、知っています。」
先輩から届いた
「挑戦しっぱなしだった。」
こどもから届いた
「また先生のクラスになりたいです。」
どんな文が心に響くかは、人それぞれです。
私の場合、共通していることは、書いてくれた人の思いが想像できる文・思いが伝わってくる文に心惹かれます。「きっとこんな思いで書いてくれたんだろうな」と想像することは、こちらの気持ち次第ですが、自然と想像したくなる文があることも事実だと思います。
読み手の立場で考えると、私は、この「思いを想像したくなる文」こそ「美しい文」であり、「美しい言葉」に支えられていると勝手に考えています。
書き手の立場でいうなら「思いを込めた文」という感じになると思います。
「美しい」というのは「正しい」とは違うと思っています。
正しく言葉を使うことは大切ですし、学校では正しく使えるような授業が展開されてきたと思います。
ただ、正しく使うだけなら思いがなくてもできますし、それこそAIの方が膨大な情報の中から最も正しい言葉を選択できると思います。
なんとなくですが、「正しい言葉」「正しい文」に「思い」が加わることで、「美しい言葉」「美しい文」になっていくような気がします。
なので、「正しい」も「美しい」もどっちも大切ということになります。
目的よりも、文を正しく書くための型を大切にして授業をする人を批判する人がいます。
「なぜ書くのか」という目的を重視し、型を意識しないで授業をする人を批判する人がいます。
タマゴが先かニワトリが先か、じゃないですけども、どっちという答えがでないものですよね。型を知った上で、目的に合わせて書くこともできるし、目的があるから型を知ろうとすることだって考えられます。
たぶん、「正しい」ということと「自分の思い」というものを行ったり来たりしながら、「美しい」というものになっていくのでしょう。
そして、こどもたちが「美しい言葉」を使える人になっていってほしいなと思います。これは文を書くことだけでなく、話すときもそうです。
というかもっと他のことにも当てはまるかもしれません。
「正しい動き」「美しい動き」
「正しい演奏」「美しい演奏」
「正しい判断」「美しい判断」
「正しい笑顔」「美しい笑顔」
「正しい経営」「美しい経営」
型、決まり、ルール、「正しい」の判断基準はさまざまですが、そこに「思い」をのせられる人になってほしいと思っています。
そのために、授業の中で「思い」をもてるようなアプローチをたくさんしていきたいですね。
ここまで書いてきて最大の失敗は、私の文が「美しくない」ということです・・・。「思い」はあります!が、「正しい」ということが難しい・・・。もう一度年賀状を読んで、勉強したいと思います。
「読書2020」×「学び」
全く本を読まなかった私が
友人(自称修行僧)の影響で読むようになって数年。
読書はいいものだと感じる今日この頃です。
新型コロナの影響で、人と話す機会は減りましたが、本を通して人とのつながりを感じられたのは良かったと思っています。
そこで、2020年に私が影響を受けた本を勝手に紹介していこうと思います。
2020年は、私にとって大きな転機が訪れた年でした。そうした中、組織の在り方について考える場面も多くなりました。そこで、出会ったこの本は無知だった私の考えを広げてくれるものでした。
どのような組織がベストなのかは分かりませんが、「学校」という組織も多様であったらいいのにと思います。そうした提案をできるように、2021年は新しい挑戦をしようと考えています。
私の子供が読んでいるのを借りました。そのとおりだなと思うことが多々ありました。
「幸せになるってどうすればいいのかな。そもそも幸せってどういうことかな。」
という子供の言葉が印象的でした。
このブログでも以前紹介した本です。「そういう学びの選択肢が必要だな。」と改めて考えることができました。
「相手が幸せでありますように。そう思って話すこと。」
本当に大切なことってそこですよね。全てのスキル・コツを超えたものなのかなと感じました。
「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいこと。」
「自分で誰かの靴を履いてみること。」
「表出することと存在することはまた別物。」
心に響く言葉がたくさんありましたが、何よりも文章がおもしろい。これだけ特集されるのが納得の一冊でした。
「学校」は長らく「クラフト」によって保たれてきたと思います。
そこに少しずつ「サイエンス」が入るようになり、それでも社会の変化に対応できていないように感じることもあります。
一方で「アート」の考え方をする管理職の先生にも、たくさんお会いしたことがあります。この三つのバランスを考えていくことは、「学校」においても欠かせないように感じました。
漫画ではありますが、2020年から読み始めたジャンプ作品です。
「ドラゴンボール」「スラムダンク」「幽遊白書」が世代的にビンゴの私は、「ワンピース」「ナルト」「ブリーチ」を読み始めるのに、かなりの時間がかかりました。漫画は好きなのですが、前の作品が好きすぎて、次の作品への一歩を踏み出せないという。
なぜかジャンプ作品だけ、そうした傾向が私にあります。
今回もなかなか一歩を出せずにいましたが、友人(自称身長3m)のすすめで読み始めました。友人曰く、「最近のジャンプは、作品の引き延ばしをしないので、おもしろいし、読みやすい。」のだそうです。
そして、学ぶことも多いと感じました。今までのジャンプと違うことを感じる作品ばかりで、今後ブログで紹介していきたいと思いました。
「読書」は「学び」に直結すると改めて思います。「人と出会う」ことと同じくらいの価値があるのかもしれません。
2021年も、たくさんの出会いとつながりを求めて「読書」をしていこうと思います。
本年も大変お世話になりました。皆様、よいお年をお迎えください。
「桃鉄」×「学び」
やっぱり桃太郎電鉄はおもしろいですね!
昔から大好きなゲームでした。
大学のときは徹夜でプレーしたのを覚えています。
また、友達との仲がギクシャクするという
あるあるを含んだゲームでした(笑)
今は私のこどもと一緒にプレーしています。
まず驚いたのが駅と物件の多さ!
私の出身は群馬県なのですが
「沼田」「草津」「前橋」「高崎」「桐生」と
かなり豊富な物件を購入することができます。
「このパン屋はあそこだろう」
「たしかに大きな工場があったな」
と想像しながら進めるのは楽しいものです。
楽しんでいるのは、おじさんの私だけではなく
こどもも全力で楽しんでいます。
早く帰宅できた日は
「30分だけ桃鉄やろう!」
ということになります(笑)
そこで、なぜ楽しいのかを聞いてみました。
すると複数の理由が返ってきました。
①総資産を増やすことが楽しい
まず、総資産という言葉を使っていることに驚きました。
そして効率よく総資産を増やすにはどうしたらいいかを考えるようになったそうです。
「収益10%より20%の物件を買おう。」とか「1億の10%一つより100%の1000万を五つ買う方が効率がいい。」とか考えるそうです。
当たり前のように百分率を使っていますし、収益という言葉に目を向けられるようになったのも桃鉄のおかげです。
「実際には収益から費用を引いたものが利益になるんだよ。」という話をすると、さらに興味をもってくれたようで、「コロナで売上が落ちたっていうニュースを見るけど、売上って何?」という質問が返ってきました。
(このあたりは、妻に説明してもらいました・・・。)
総資産を増やす、というゲームの目的を考えると
ただお金儲けをするだけのような印象を受けがちですが
実際は、関連して考えられることがたくさんあるということに、こどものおかげで気付くことができました。
②購入した物件が紹介されることが楽しい
ゲーム内のニュースとして、人気の食べ物や観光地などが紹介されることがよくあります。それがうれしいようで、今は購入する前に「ここは人気がでそうかな」と考えるようになったそうです。
「喜多方のラーメンは絶対おいしいはず!テレビでやってるのを見たことあるし、本にも載ってた!」
と学びがつながっていくのも素敵です。
こうして名産品や特色を知っていくんですね。
③思い出を振り返ることが楽しい
行ったことがある物件駅にとまると
「ここで食べた○○のお店があるね!」
「また行きたいねー。」
という話になります。
コロナ禍ということで、より一層お出かけの思い出が楽しいようです。
「次は、ここに行きたいね!」
という未来の話が盛り上がるのも楽しいです。
④そもそもゲームとして楽しい
すごろく形式で対戦することが、そもそも楽しいようです。
私が、目的地にゴールするよりも、別の駅の物件を買うことを優先しているとき、こどもは、まず目的地を目指しています。
うっかり忘れるところでした・・・。
ついつち大人の目線で価値付けをしたくなりますが、そもそもの楽しみ方を忘れてはいけませんね。
とはいえ、これだけの(もっとあると思いますが)学びを楽しみながら得られるわけですから、一緒にやって良かったなと思います。
また、結果的に親子のコミュニケーションが増えたことが、私にとって一番の楽しみかもしれません。
いじわるなカードで攻撃することなく、ギクシャクしないようにプレーしていきたいと思います!!